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  • 2021.12.25
  • WhyKumano

  • 01. ゲストハウスが、熊野の那智勝浦にできるまで。

  • JR紀伊勝浦駅前にある、ゲストハウス型宿泊施設『WhyKumano』

    ドミトリーや個室があり、ラウンジは誰でも立ち寄れるカフェバー。熊野古道帰りの宿泊客や、コロナ禍以降に始めたオンライン宿泊を体験した宿泊客が、リピーターとして何度も訪れる人気施設だ。

    熊野古道、温泉、マグロと素晴らしい観光資源を持つ熊野地方を、全国に広めたい一心で奮闘するオーナーの後呂孝哉(うしろたかや)さん。

    彼のここまでの軌跡やこれからのビジョンは、熊野への愛とアイデアと実行力に満ち溢れたものだった。

後呂さんは、WhyKumanoがある那智勝浦市に隣接する和歌山県新宮市出身。若い頃は都会に行きたい気持ちがとても強かったそうだ。早く東京に行きたいと思う高校時代を過ごしつつ、当時通っていたお店が潰れるなど地元の衰退も感じ、なんとかしたいという気持ちも持つようになる。

その後、東京でいろんな人に会う中で外から地元を見ると“地元ってすごくいい場所だ”と気付いたという。

「和歌山県の熊野出身って言っても誰も知らない。18歳までここで育ち、ここが全て。世界中、日本中の人が知っていると思っていたけど、いざ外に出てみたら、誰も知らなかった。世界遺産も温泉もマグロもある、とてもいい場所なのに知られていないのはもったいない。もっと熊野を知ってほしいという想いが強く湧いたんです」

大学卒業後に電機メーカーに就職。営業職として働く配属地は栃木県の宇都宮市だった。

「当初、栃木には知り合いがゼロ。おもしろくなくて、平日は宇都宮で仕事をして、週末は東京に行き、金土日は遊んで終電で帰る2拠点生活を1年ほど続けた。

でも、東京での週末はおもしろくても、宇都宮の生活が全然変わらない。1年経っても宇都宮では知り合いがゼロではもったいないし、宇都宮は人口50万人だけど地方都市。ここでがんばった経験やノウハウは、将来熊野に戻った時に活かせると思って、友達をたくさんつくろうと思ったんです」

決意してからの動きは早かった。

「当時はテラスハウスが流行り、東京ではシェアハウスがたくさんあったけど、地方にはまだない。検索すると宇都宮に翌月オープンするシェアハウスがあったので、内覧もせずにすぐに入居。そこで友達がたくさん増えた。

場所も宇都宮の真ん中の良い場所で、イベントを企画すると周りの人がどんどん集まり、コミュニティができる。イベントをすればするほど人が集まるし、友達も増える。おもしろいので、毎月のようにイベントをしていました」

地方都市、宇都宮で持ち前のバイタリティを発揮し、シェアハウスを基点に独自のコミュニティを形成する力を身につけた後呂さん。人もどんどん集まる一方で、湧き上がる想いがあった。

「当時は27〜28歳ぐらい。30歳までに何かやりたいと思っていて‥。学生時代に海外25カ国ぐらいを旅をしたけど、アフリカなどはまだ行っていないし、やっぱり海外を見たい。

5年半仕事をして宇都宮が第二の故郷と思えるほど私生活も充実していたけど、30歳を超えると落ち着くと思い、その場所を離れることを決意。世界を一周したいけど、まずは日本からと半年ぐらいかけて日本を一周したら、全国各地におもしろい人たちがいっぱいいた。日本はすごいと改めて思った。

日本を出たら、逆に日本の面白い人たちに置いていかれると思い、結論として、世界に出る必要はない。世界で一番おもしろいのは日本だと思ったんです」

世界を知る後呂さんが日本全国を周り、改めて気づいた日本の魅力。新たな拠点はもちろん一つしかなかった。

「どこに拠点を置こうかと思った時に、地元だなと。ゲストハウスを周って日本を一周する中で印象に残る場所って、観光地ではなく、ゲストハウスがある街。ゲストハウスでの地元の人との交流がすごく楽しい。“この街が好き”って思ってもらうためには、ゲストハウスという機能が街には必要だと確信した。

あと、やっぱり10代の頃からの想いである熊野を世界に広げるためには、自分が発信するよりも、熊野に来た人が“熊野っていいよ”と発信してもらう方が早い。熊野にはゲストハウスがなかったので、人が交流できるゲストハウスを作ったんです」

続く。

(取材、文章 副編集長 横谷真一)

【WhyKumano vol.2はコチラ↓】

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